2025/01/22

「久延彦便り Q&A」(7)

Q.
 中華人民共和国の建国は1949年ですが、いわゆる「日中戦争」において日本が戦った中国とはどこの国のことですか。また、「南京大虐殺」とはどんな事件だったのか、その真相についても教えて下さい。

A.
 最初に歴史的事実を確認しておきたいと思います。支那大陸における国家の変遷についてですが、清朝は1911年の辛亥革命(しんがいかくめい)により滅亡します。そして、翌1912年に辛亥革命の指導者であった孫文(そんぶん・1866-1925)により中華民国が建国されました。

 いわゆる「日中戦争」は937年7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件に端を発し、同年8月13日に勃発した第二次上海事変により、日中の全面戦争となり本格化しました。従って、「日中戦争」において日本が戦った相手は中華民国ということになります。

 さて、日中両軍が全面戦争に突入した後、1937年12月4日~13日までに行われたのが南京攻略作戦でした。そして、日本軍が作戦時と作戦終了後のおよそ6週間の間に非戦闘員や一般市民を大量虐殺したというのが「南京大虐殺」と呼ばれる事件なのですが、この事件については各方面での論争が続いており、犠牲者の数についても様々な説があります。

 しかし、確実に分かっていることもあります。まず、「南京大虐殺」とはそもそも蒋介石が抗日戦争を有利にするために世界に喧伝(けんでん)した事件だったということです。日本軍の残虐行為を告発することで、中国人が悲劇的な犠牲者であることを全世界に知らせようとしたのです。そして、その犠牲者の数は30万人に上るというのですが、今もなお中国共産党政権は、南京大虐殺の犠牲者が30万人以上であったと主張し続けています。

 ところが、当時の南京安全区委員会の人口調査では、占領前の南京市民は約20万人であり、将兵やその家族を含めて最大で25万人とされています。しかも、日本軍による南京占領の一カ月後には、人口が5万人増加しているのですが、残虐な殺戮(さつりく)が行われた後に、人口が増加しているとすれば、何とも不可解なことです。

 さらに、これだけの大虐殺があったのならば、当時、世界中でニュースになるはずなのですが、全く報道されていないのはどういうことなのでしょうか。そればかりか、中華民国政府は公式声明において南京大虐殺について全く触れていないのです。例えば、支那事変勃発の1年後、1938年7月7日に蒋介石は「友好国への声明」を発表しますが、この中で日本軍の残虐行為として非難されているのは、「広東(かんとん)空襲」であって、「南京大虐殺」ではありません。

 また、国民政府の提訴により、国際連盟は日本の行動を非難する決議を採択しています。それが、1938年5月の国際連盟理事会の決議なのですが、この決議では日本軍の「毒ガス」使用は非難されていますが、不思議なことに「南京大虐殺」についてはまったく言及されていないのです。

 こうした公式記録に「南京大虐殺」についての非難がないことは全く不自然と言わざるを得ません。つまり、蒋介石も国際連盟も、「南京大虐殺」が戦時宣伝として造り上げられた日本非難のプロパガンダであったことを認識していたのです。

 さらに、不可思議なのはおよそ6週間の間に30万人もの人々が虐殺されたのに、物的証拠はほとんどなく、大虐殺の根拠はもっぱら伝聞証言によるものなのです。しかも、その証言者もごく少数であり、東京裁判に提出された目撃証言は1件のみでした(この1名の証言さえ疑問視されている)。また、証拠写真とされたものもほとんど信憑(しんぴょう)性がなく、捏造(ねつぞう)されたものであることが明らかになっています。物的証拠がなく、ただ1人の目撃者の証言も信憑性が疑問視され、証拠写真はほとんどが捏造であるとすれば、「南京大虐殺」なるものが本当にあったと言えるのでしょうか。

 にもかかわらず、今日もなお、「南京大虐殺」が日本軍の蛮行であり、世界史上類を見ない大量殺戮であったと世界中の人々が信じているとすれば、戦後80年を経た現在においても虚偽と捏造の歴史があたかも真実であるかのように刷り込まれているということになるのではないでしょうか。そして、「南京大虐殺」という虚偽をことさらに取り上げ、日本に対して執拗なまでの謝罪とお詫びを要求し、自分たちこそが正義の味方であるかのように傍若無人(ぼうじゃくぶじん)な振舞いをしているのが、中国共産党政権なのです。

 中国共産党政権により捏造された「南京大虐殺」というデマ工作により、不当に非難され、謝罪を強要され、お詫び行脚(あんぎゃ)を繰り返させられてきた日本と日本国民は、そろそろこの悪夢から目覚め、世界中の人々に真実を知らせなければならないのです。そのためには、まず日本人一人一人が大東亜戦争の真実を知り、南京攻略作戦がどのようなものだったのかを正しく理解しなければなりません。戦後80年を迎える今が、まさにその時であると思います。