Q.
政府が不妊治療を保険適用することを決定しましたが、この決定に対しては倫理的な問題があるとする指摘もありますが、少子化対策のための保険適用を合理的とする意見もあります。不妊治療を取り巻く問題についてどのように考えたらよいのでしょうか。
A.
まず、一般論としてですが、女性の妊娠適齢期は20代から30代前半と言われています。女性ホルモンの分泌量が多く、卵子の質も良好なため、妊娠しやすいとされており、30代後半には妊娠率は低下し、40代以降では急激に妊娠率が下がります。また、流産や染色体異常のリスクが高まるようになります。
この事実を踏まえれば、妊娠適齢期に妊娠・出産することが自然の摂理であることに疑問の余地はありません。つまり、不妊治療という行為、とりわけても高齢出産に関わる不妊治療はそもそも自然の摂理に逆行しているのです。このような基本的な視点に立たずして、いかに議論を積み重ねたとしても、不妊治療に関する諸問題を根本的に解決することはできないのです。
不妊治療については、もちろん一概に否定することはできませんが、そもそも妊娠適齢期について学校教育で十分に指導されているのか、という疑問があります。中学校での保健体育や家庭科の授業で妊娠・出産に関わる教育がほとんどなされていないということを聞いたことがあります。男女平等の観点から適切ではないとか、女性にだけ出産の負担を背負わせ、女性だけに子育てを押し付けようとしているとか、何とも愚かな理屈で、女性にとって最も本質的な特質である妊娠・出産に関する知識を奪おうとしているのです。
そこで、不妊治療の保険適用ですが、結論としては賛成できません。なぜなら、不妊治療をする夫婦の増加は、明らかに妊娠適齢期を逃したことで生じた当然の帰結であるからです。自然の摂理を自分たちの都合で無視しておいて、その責任を不妊治療という医学的処置と公費の負担に求めるというのは、明らかに論理矛盾なのです。少子化対策のためには合理的という意見もあるとのことですが、そのような主張は自然の摂理を完全に無視した自己本位の暴論でしかありません。
私たちにはどんなことをしても変えられないことがあります。それは宿命ともいうべきものであり、あるいは自然の摂理とも言えるものです。しかし、それらの変えられないものこそが、私たちの人生を支える礎となり、さらには私たちの幸福の土台となっているのです。妊娠適齢期は決して変えることのできない女性の生理的特質なのです。そして、このような生理的な特質こそが、生命の誕生という最も神秘的で、最も神聖な出来事を支える礎になっているのです。このような自然の摂理に反して、自己の欲望を優先させることが、不妊治療という医療行為を生み出す温床となってしまったことを厳しく指摘しておかなければなりません。
現代は価値観が多様化している時代であると言われますが、価値観が多様化することは、言葉を換えれば価値観が混乱することでもあります。そのような時代において、何よりも大切なことは価値観の多様化を容認することではなく、不変の価値観を何よりも大切にすることです。妊娠適齢期とは、女性だけに与えられた特別な賜物であり、それは、人生のある期間をより意味深いものにするために天が与えてくれた恵みの時なのです。その時を逃すことがないように生きること、そこに女性としての幸福の源泉があると思います。
不妊治療の現状についてはいろいろな場合があり、そこには男性が抱える問題もあり、先天的な事情もありますが、これらはまた個別的に検討しなければならないことです。あくまでも一般論として、不妊治療そのものが自然の摂理との関係においてどうであるのか、ということを私たちは謙虚に考え直してみなければならないのではないでしょうか。もしかしたら、医学的処置に依存する生命の誕生は自然の摂理への反逆となり、さらには生命に対する冒瀆(ぼうとく)になるかもしれない、という敬虔な心を私たちは決して失ってはならないのです。