Q.
人間は誰しも死を迎えますが、私たちは生きているうちにどのように生きるべきなのでしょうか。イェール大学では23年連続の人気講義があり、「死とは何か」をテーマにしているそうですが、その講義では、死後の世界があることの科学的根拠はないとされています。死後の世界があるかどうかについて、どのように考えたらよいのでしょうか。
A.
これは死生観に関わるとても重要な問いだと思います。そして、死をどのように捉えるかによって、その人の生き方は根本的に違ったものになります。生と死とは何であるのか、死後の世界は本当にあるのか、ということは実に深淵なテーマであると思いますが、ここでは死生観についての一つの視点をお話ししてみようと思います。
まず、死後の世界の有無についてですが、そもそも科学的に存在証明できるか否かが、存在を決定する絶対的根拠にはなりません。なぜなら、科学それ自体が現在も進歩の過程にあり、現代の科学で証明できないことも、今後どのようになるのかは分からないからです。つまり、私たちの人生観に関わる根本的な命題を科学的な証明や根拠によって判断することは決して賢明なこととは言えません。科学の限界を知るならば、科学的に死後の世界の有無を判断しようとする姿勢こそ、非科学的な態度ではないかと思います。
そこで、私たちは科学的な根拠や論証によってではなく、自分の人生について、あるいは生と死の意味について考察しなければならないのです。その考察の基準となるものは、私たちの心です。私たちの心が何を求め、何を願い、何に満足するのか、それが私たちの人生の意味を決定する基準となるべきです。さらに言えば、生きることと死ぬことが、私たち一人一人の幸福とどのように関係しているのか、そのことを考えてみなければなりません。
では、ここで一つの問いかけをしたいと思います。「あなたは幸福を願っていますか、そして、その幸福はどのようなものであってほしいと願っていますか」ということです。この問いに対して、幸福を願っていないという人がいるとすれば、そのような人にとっては「死とは何か」を問うことは無意味であるかもしれません。また、幸福を願ってはいるけれど、人は幸福になることはできないとあきらめている人がいるとすれば、そのような人にとっても死生観を問うことはあまり意味のないことかもしれません。なぜなら、幸福を願わず、また、幸福になることをあきらめている人々にとっては、人生そのものに特別な目的や意味はなく、死後の世界があることを願うこともないと思うからです。
しかし、幸福を願っているという人にとっては、「死とは何か、死後の世界はあるのか、生きるとはどういうことなのか」という問いかけはとても大切なものになるはずです。なぜなら、幸福を願っている人は、その幸福が一時的なものでなく、永遠に続くものであることを願わずにはいられないからです。聖書には次のような言葉があります。
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」 (伝道の書 3章11節)
私たちの心は永遠を願います。もし、「あなたの幸福がいつまで続くのがよいか」と尋ねられれば、誰もがその幸福は永遠であってほしいと答えることでしょう。例えば、心から愛する人に出会えたならば、その人はごく自然な感情として愛する人と永遠に一緒にいたいと願うようになるはずです。そして、二人の愛が永遠であり、その愛の喜びがいつまでも続くことを心から切望するはずなのです。愛と幸福が永遠であることを願うのは、人間の本性であり、そう願うのは、人には永遠を思う思いが授けられているからです。
ですから、人生が死で終わり、死後の世界はなく、私たちの生きた証詞はどこにも残らないとすれば、また、私たちが感じた幸福が跡形もなく消え失せ、私たちが愛する人と過ごした思い出がすべて死によって奪い去られるとすれば、人は何のために幸福を探し、愛する人を求め、永遠を願って生きるのでしょうか。
死がすべての終わりであり、死後の世界がないとすれば、永遠というものはありません。すべてが一時的で、一瞬の出来事であり、どれほど高貴で価値あるものも、いつまでも忘れたくないと思うような美しい思い出も、永遠であることを願うような愛の喜びも、すべてが消え失せてしまうのだとしたら、人生で永遠を願うことほど愚かなことはないのです。
「いかに生きるべきか、死とは何か、死後の世界はあるのか」、このような問いかけに科学で答えを出そうとするところに人間の愚かさと悲しさがあるのではないでしょうか。人は科学によって生かされているのではなく、科学によって幸福になるのでもありません。人は永遠を思う思いを授けられた存在として、心に宿る永遠を願う本性を何よりも大切にしながら生きるように創造された存在なのです。
生と死の問題は究極的には私たちの心の在り方の問題なのです。もしも、私たちが永遠の愛と幸福を願っているならば、人生は永遠でなければならないのであり、死後の世界は実在しなければならないのです。そうでなければ、永遠を思う思いを心に授けられたことは、私たちにとって最大の不幸となり、最大の悲しみともなってしまうからです。愛と幸福が永遠であることを願うことが私たちの本性であるならば、私たちは永遠の愛と幸福を得るために生きるべきであり、死を迎えたとしてもその愛と幸福はいつまでも存続するはずなのです。ですから、人生は死で終わるのではなく、死後の世界は確かに実在するのであり、まさに私たちの生命は永遠なのです。